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水戸家庭裁判所土浦支部 昭和36年(家イ)58号 審判

申立人 清水みの(仮名)

相手方 清水明夫(仮名)

主文

申立人と相手方とは離婚する。

前記両名の長男昭一、二男文男、三男久男、長女きみ子、二女つや子の親権者をいずれも申立人とする。

相手方は申立人に対し財産分与として申立人肩書住所々在木造亜鉛葺平家建居宅二坪五合を分与する。

本件調停費用は当事者各自の負担とする。

理由

申立人が事件の実情として述べるところによると、申立人は相手方と昭和二十一年四月十一日結婚し、相手方との間に五人の子女がある。

相手方は当初東京都千代田区所在○○ホテル○○組の機械係をしており月収七、〇〇〇円位あつたが、一年位で退職し、申立人の実父谷川太郎の材木仲買業に従事していたところ、背髄カリエスとなり一年有半自宅で療養し、その甲斐あつて全快し、石岡市所在○○製糸工場で日給三〇〇円を得たが、六ヶ月位で辞し、生業に就き精励しなかつたので、申立人が店員となつて生計を立ててきた。その後相手方は食用蛙捕獲を業とすることとなつたが、この業務も夜業のため次第に酒を呑む日が多くなり、申立人の忠言も聞入れず、申立人に対し乱暴するようになつた。申立人は相手方がこのような状態であつたので昭和三十二年十月頃家出し他所で働いたこともあつたが、前記谷川太郎が申立人の子女のことを心配し帰宅を勧められて帰宅し、相手方も真面目に働くということであつたが、申立人も働かなければ生計の途が立たないので、働きに出たところ、相手方は申立人の務め先にまできていやがらせをし、飲食店に借りができはじめ、同三十四年八月二十日には窃盗事件で石岡警察署に逮捕され、同年十月頃石岡簡易裁判所で懲役二年六月に処せられ現在服役中である。申立人の前記窃盗事件は長期にわたり米の窃盗をしていたとのことで、申立人は現在五人の子女を抱え生活保護を受けながら労働による日給一五〇円を得て生活をしている有様である。叙上の次第であるから、相手方との離婚並びに子女五人の親権者を申立人とし、相手方から前記離婚による財産分与として申立人の肩書住所々在木造亜鉛葺平家建居宅二坪五合の分与を受けるため本件申立をしたものであるというにある。

そこで本件記録によると、申立人は昭和二十一年四月父谷川太郎らが取極めた相手方と結婚し、石岡市守槇町所在借家の相手方の父清水次郎方で相手方と同棲することになり、相手方は当時その父次郎の雑穀仲買の手伝や日雇に従事していたところ、申立人は間もなく相手方の子を懐胎したが、相手方に生活能力がなかつたので中絶し、相手方は翌二十二年初め東京都所在○○ホテルの機械修理係に勤務することになつたが、約一年で退職してしまい、こんどは申立人の父太郎の材木仲買業の手伝をすることになつたが、これ亦約六ヶ月でやめてしまい、同二十三年八月十六日申立人との婚姻届を了し、翌九月九日長男昭一が出生し爾来同三十二年五月十八日までの間に二男文男、三男久男、長女きみ子、三女つや子の五名出生したこと。

相手方は同二十四年秋には鹿島郡旭村子生で農業の手伝をしたが同年にやめ、行方郡某町でアメシボリの行商を始めたが、屡々外泊し、日常生活にも事欠き、申立人は約三ヵ月父太郎の世話になつたこと。

相手方は同二十五年十二月頃太郎所有の物置を四畳一間に改造して居住することになり、当時太郎が菓子商を始めたのでその行商に従事したが、商売にならず、更にキャンデーの売子や日雇、古物商などをしたが、これも永続きしないうち、同二十九年十二月背髄カリエスに罹り約一年六ヵ月自宅療養し、その間国の生活扶助を受け、全快後太郎の紹介で石岡市所在○○製糸工場に日給三五〇円で糸つむぎの指導をすることとなつたが、約六ヵ月で退職してしまい、そこで夜間食用蛙捕獲を始め一日六〇〇円乃至一、二〇〇円の収入を得てきたが、酒代に費消するため生活は少しも楽にならず、その上同三十二年十月頃申立人に対し暴力を振うので申立人は当初単身で横浜に出てパチンコ店の炊事婦として約一年余働いたが、相手方も飲酒を慎み真面目に働くということで相手方の下に帰つたところ、相手方の生活態度が改まらず、相手方は同三十四年八月窃盗事件で検挙され、その判明した事実による、申立人と婚姻前にも窃盗罪で検挙されたこともあり、更に約四年間にわたつて近在の倉庫を破り米約四〇万円相当を窃取売却していたことが発覚し、石岡簡易裁判所において懲役二年六月に処せられその服役中なること。相手方は同三十七年三月刑期終了後申立人及びその子女の下には帰らず他所で土工にでも従事する希望をもつていること。

相手方の性格は短気で酒を好み妻子六名の夫であり、父であるにかかわらず職場を転々とし正業にはげまず、犯行を重ねていたこと。申立人は相手方が服役後幼少の二女つや子を抱えているので、夜間申立人の従姉の石岡市所在○○○食堂こと広川安子方に勤め月収約六、五〇〇円を得且つ生活保護による扶助によつて五名の子女を扶養、監護しており、貧しいながらも母子六名が平和な生活をしていることが認められる。そこで申立人は前認定の相手方の従来の生活態度に照し、全く愛情を失い、相手方と夫婦生活を持続する意思なく将来円満な夫婦関係に復帰できる見込がないものと解せられるので、これを法律上の夫婦という名の下に拘束しておくことは不当であり、不可能なことでもあるから離婚原因としていわゆる婚姻を継続し難い重大な事由あるものといわなければならない。

次に前記五名の子女は相手方とは離反しおり、専ら母である申立人によつて監護、教育されているので、その親権者は申立人とするのが適当である。

なお本件記録によると申立人及びその子女居住家屋は申立人の父太郎所有の物置を相手方が申立人との婚姻中昭和二十五年十二月頃改造した僅かに雨露を凌ぐ程度の四畳一間に過ぎないのでこれを申立人に分与すべきである。

よつて主文の通り審判する。

(家事審判官 山口昇)

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